神秘 隠れ里五名
Gomyou Geo Site
ジュラ紀の地層や化石をはじめとする五名のジオサイトや、自治体指定の自然記念物・文化財のほか、銅鉱山跡や近代土木遺産など、五名の隠れた魅力をご紹介します。
The Jurassic Stratum
中生代和泉層群
和泉層群とは、中央構造線の北側に見られる中生代白亜紀後期の地層群で、約7,000万年前の太平洋の海底に堆積した泥や砂(和泉層群)が隆起して形成されたとされる。
五名ジオサイト
ここに見られる地層は、約7000万~8000万年前の中生代末期、海底に堆積したものが、その後の新生代初期の地穀変動で押し上げられ陸地になったもので、厚さは7000m以上、基盤の花崗岩の上に礫岩(れきがん)と砂岩(A層)、泥岩(B層)、砂岩と泥岩(C層)、泥岩(D層)の順に重なり、B層からアンモナイト類や二枚貝類、C層から古代アマモ等の化石を産する。
ここのものはA層の砂礫岩と植物性の炭質物からなる層である。
出典 : 現地看板より
A KA NO FU TI
あかの渕
香川県指定 自然記念物
五名ジオサイト
この宮川は日開谷川を経て吉野川(徳島県)へ流れ込んでいる。
みぞおちの滝につづくこの辺りは、昔は、大きな渕になっており、赤ん坊の鳴き声がよく聞こえたという言い伝えがある。
女人高野という別名で呼ばれる大窪寺で修行していた人が身を清めるため水垢離(みずごり)をとったり、仏さまに差し上げる閼伽(あか)の水を汲んだところからこの名前が付いたのかもしれない。
出典 : 現地看板より
吉野川水系
日開谷川支流宮川源域
みぞおちの滝
香川県指定 自然記念物
MI ZO O TI NO TA KI
五名ジオサイト
標高300mの所に位置するこの滝は、落差約20mに及び、花崗岩からなる階段状の急な崖を流水が落下している。
長年の歳月に及ぶ侵食は、花崗岩をなめらかに削り取り、周囲の二次林と調和した独特な滝の景観を作り出している。
滝が落下する宮川は、日開谷川を経て吉野川(徳島県)に合流している。
出典 : 現地看板より
吉野川水系
日開谷川支流宮川源域
独鈷(とっこ)状 縄文石器
東かがわ市指定 有形文化財
Jomon-style polished stone tool
五名文化財
昭和50年に、五名地区のある民家(裏山)から単独出土した。"独鈷"とは真言宗の僧侶の持つ修行道具で、よく似た形の縄文石器に "独鈷石" があるが、独鈷石は主に東日本に多く、西日本にはあまり例がない。
材質は砂岩質で扁平な形状だが、通常の石に比べて重みが感じられる。重量約1500g、長さ約18㎝、幅約9㎝、厚さ約5㎝の大きさで、両端は丸味を持った三角形に尖っており、中央に幅4㎝・深さ5㎜の浅い溝が一周している。さらに片面の溝中央部上に径2㎝、深さ6㎜の円孔が穿たれている。重さや形状から漁具とは考えにくく、また円孔をもつものも他に例がない。
出典 : 白鳥町史より
The history of the "GOMYOU"
古道 難波奈良街道
現在の香川県道・徳島県道2号 「津田川島線」
五名の由来
近年、特に徳島・香川を中心とする複数の研究グループにより「"邪馬台国"東四国説」という新しい説が立てられているが、「古事記の舞台は阿波」という視点で解かれた解説書が、上枝大輔氏著 "古事記「上つ巻」" 。 同著によれば、地名や地形、さらには春分、夏至、秋分、冬至の太陽年周運動や万葉集からも古事記を読み解いた大変貴重な研究資料となっている。
また難波・奈良街道は現在の津田川島線であり、難波津(津田)~大坂(五名)~奈良(奈良坂)までの古道を指す。五名では、"おこっつぁん"の愛称で親しまれる高越山(徳島県山川町)やアーク伝説の剣山もほど近く、或いは五名も、畿内に都が築かれる以前の原日本都市の一助となっていたのかもしれない。
平成27年五名で講演した
上枝大輔氏の著書
"古事記「上つ巻」"
The history of the "GOMYOU"
日下・鈴竹・大楢・長野・払川
五名村、永禄中(一五五八ー七〇)、木村京祥阿波より来たりて開く。天正中(一五七三-九二)、その五人の子がそれぞれ五地区の名主となり、五名という。
五名の由来
もとは寒川郡の「難波郷」に属していて、その後「五名山村」改め「五名村」となる。
■日下 「九坂」、「草壁」とも書く事から推して「日下部氏」に縁故のある事は確実と思われる。
■鈴竹 篠の古名、篠竹(すずたけ)が語源のように思われる。女体神社のお堂、銅鉱山跡がある。
■大楢 「大奈良」と書いたものもあり、奈良は「ならす」、「平城京」とあるように平地であることに語源がある。大坂峠がある。
■長野 道々路(どどろ)の滝、大楢の境目との八丁坂、四ツ足堂峠、平家落人の墓がある。
■払川 昔、女体山を大蛇がとり巻き、民を恐怖のどん底におとしいれていた際、通りがかった行基菩薩がこの川に入水し身を清め、大蛇を伏せたという一説と、空海が女体山の下の地獄谷において悪鬼を退治した後、禊(みそぎ)をしたので「祓川」改め「払川」という名が起こったという説がある。杖立峠は、空海が四国巡錫のみぎり、ここに杖を立てて休まれたといわれる。
出典 : 白鳥町史より
The industrial legacy
堂床鉱山遺跡(銅山跡)
銅鉱石採掘坑跡
五名の産業遺跡
藩政時代末期、高松藩が銅の鉱石採掘のため数か所発掘を始めた。
藩政時代・県政初期の、藩・県財政の窮乏を救うための殖産興業の一事業であったと考えられ、工業振興の芽生えが五名の山中にもあったことを示しており、貴重な遺跡である。
出典 : 白鳥町史より
エメラルドグリーンに澄んだ
堂床川の一部
The industrial legacy
口船隧道(トンネル)
四国土木学会認定 "クラスC" 近代土木遺産
五名の産業遺産
大正5年頃に完工したとされる口船トンネルは、全国的にも珍しい総石積みの建築物。
アーチ環、付け柱、笠石、帯石、翼壁等すべての構造が、ブロック状の積み石で築かれている。
アーチ環の上部に取り付けられる題額には、「道隧船口」と、トンネル名称が右から書かれている。
平成17年に「近代土木遺産 クラスC」に指定されている。
現在、トンネルに続く市道は全車両・歩行者ともに全面通行禁止。
斜面崩壊により通行の安全性を確保できないために大変危険です。通行はご遠慮ください。
大正時代に建築された
総石積みトンネル